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井の中の蛙、予備校で死す
正直に言います。 私は子供の頃、「自分は天才だ」と思っていました。
図工も家庭科もオール5。美術の授業では最高評価以外取ったことがない。 昼休みはドッジボールもそこそこに、ノートに漫画やイラストを描き殴るのが日課。たまに強制参加させられる絵画コンクールに出せば、当然のように入賞する。 周りの大人たちは言いました。「すごいね、才能があるね」と。
そんな「地元の神童」気取りだった私は、親の勧めで普通の公立高校に進み、高校3年生の夏、満を持して美術大学への進学を決めました。 「まあ、なんとかなるだろう」 そんな軽い気持ちで、初めて美術予備校の体験入学の門を叩きました。
そこで待っていたのは、私のプライドが音を立てて崩れ去る音でした。
周りを見渡せば、同い年の、あるいは年下のライバルたちが、見たこともないような密度でデッサンを描いている。 彼らは高校1年から、いや、中学時代からここに来て、鉛筆を削り続けていたのです。 私の絵は、彼らの横に並べると、ただの落書きでした。私の画力は、残酷なほどに「カス」だったのです。
結果は火を見るより明らか。その年の美大受験は全滅。 その後、仮面浪人という茨の道を経て、なんとか美大に入り、今はデザイナーとして飯を食っています。
あの時の絶望と、そこから這い上がる過程で気づいたこと。 それは、これから美大を目指す君たち、そして「何かを作って生きていきたい」と願うすべての人に伝えたい、3つの真実です。

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1. 「センス」という言葉に逃げるな。それはただの「鍛錬」の別名だ
社会人になった今、クライアントや同僚からよく言われます。 「君はセンスがあるからいいよね」
はっきり言います。私はこの言葉が一番嫌いです。
私にはセンスなんてありません。 あなたがスマホを見て寝落ちしている間に、手を動かしていただけです。 あなたが「自分には才能がない」と諦めている間に、何百枚、何千枚と失敗作を積み上げてきただけです。
誰でも土俵に立てるからこそ、修羅の道
絵を描くこと、デザインをすることは、資格がいりません。 司法書士や建築士のように、難関試験を通らないとスタートラインに立てないものではない。紙とペンさえあれば、今日から誰でも「アーティスト」を名乗れます。 敷居が低いということは、競合(ライバル)の母数が圧倒的に多いということです。
その中で頭ひとつ抜けるために必要なのは、魔法のような才能ではなく、「狂気的なまでの反復練習」だけです。 幼少期の私が無双していたのは、才能があったからではありません。他の子がゲームをしている時間に、私が絵を描いていたからです。親が色鉛筆を買い与えてくれた「運」はありましたが、それを削り尽くしたのは私自身の「鍛錬」です。
「センス」という言葉で、他人の努力を片付けないでください。そして、自分を諦めないでください。 1日ぶっ通しで描けば、明日のあなたは今日より確実に上手くなっています。それを毎日やるか、やらないか。差はそれだけです。

2. 「新しさ」なんて諦めろ。「必然性」で戦え
美大に入ってからも、苦悩は続きました。 「世界一のアーティストになってやる」「誰も見たことのない表現をするんだ」 そう意気込んでいた私に、ある教授が言い放った言葉が、今の私の仕事観の根底にあります。
「君は今、画期的な新しいクラフトをしようとしているようだが……。そんな20年そこそこの狭い世界で生きてきた君の頭で考えつくことなんて、とっくの昔に先人たちがやり尽くしているよ」
ショックでした。でも、その通りでした。 アートの歴史は数千年あります。完全なるオリジナリティなんて、そうそう生まれるものではありません。 では、私たちは何を目指せばいいのか? 教授は続けました。
「君たちがすべきは、それを『あなたが作る必然性』を考えることだ」
なぜ、私がやるのか?(Why Me?)
上には上がいます。技術だけでトップを狙うのは、終わりのない消耗戦です。 しかし、「私という人間が、なぜこの表現をするのか」という文脈(コンテキスト)においては、私は世界で唯一の存在です。
これはビジネスの現場でも同じです。 例えば、誰にでもできる資料作成の仕事が回ってきたとします。 「誰でもいい仕事じゃん」と腐るのは簡単です。でも私はこう考えます。 「誰にでもできる資料作りだからこそ、私がやる意味を存分に思い知らせてやろう」
徹底的に見やすく、美しく、論理的な資料を作る。そうすると、次は「〇〇さんにお願いしたい」と指名が入ります。 技術の頂点を目指すのではなく、「自分自身の価値表現」として仕事を捉え直す。それが、代わりの効かないクリエイターになる唯一の方法です。

3. 「誰にでもできること」をやる人間は、実は誰もいない
「丁寧に棒人間を描いてみてください」 こう言われたら、誰だって描けますよね? 丸と線だけで構成された、あのアレです。
でも、「毎日、誰よりも丁寧に、心を込めて棒人間を描き続けろ」と言われたらどうでしょう? おそらく、99%の人がやりません。「そんなの意味ない」「誰でもできる」と馬鹿にして、やめてしまいます。
ここに、成功の鍵があります。
シュレディンガーの猫と「継続の壁」
世の中の多くのことは「誰にでもできる」と思われています。 しかし、「誰にでもできる」とみんなが思っているからこそ、実際には「誰もやっていない」のです。 誰もやらないなら、それは結果的に「誰にもできないこと」になります。
デザインの技術も同じです。 デッサンも、トレースも、模写も、やり方は教科書に載っています。誰でもできます。 しかし、それを来る日も来る日も続けられる人は、ほんの一握りです。
デザイナーとして生き続けることの最も辛いこと、そして尊いことは、この「当たり前の鍛錬」を日常にし続けることです。 それをやめた瞬間、あなたは「挑戦しない人」「できない人」に成り下がります。

【まとめ】その「1mmの衝動」を信じろ
美大受験で落ちたあの日、私は自分の無力さに打ちひしがれました。 でも、それでも筆を折らなかったのは、結局のところ「描くのが好きだ」「作りたい」という初期衝動があったからです。
今、この記事を読んでいるあなた。 「自分には才能がないかも」と不安になっているあなた。
大丈夫です。 あなたの中に「チャレンジしたい」「描いてみたい」という気持ちが1mmでもあるなら、その時点であなたは立派なアーティストの資格を持っています。 あとは、やるかやらないか。描くか描かないか。
道は険しいですが、絶景が待っています。 さあ、スマホを置いて、手を動かしましょう。私も、今日はもう少し描いてから寝ようと思います。

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