アートはビジネスである【異論は認める】

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筆者自身、「アートはビジネスである」と心から思っています。いや、正確に言うと「アートとビジネスを切り離すことは決して出来ない」ということを皆さんへ伝えたい。

全てのアーティスト、デザイナーへ。クリエイティブな発想の小さなきっかけになるように。

 



 

アートの目的とは

自由に絵を描いて、好きなものを作る。この活動の最終目的は自己満足。これこそがアートの真髄だと思う一方で、現代においてその創作物は写真に収められ、人に見せたりSNSにアップしたりする。目的の「自己満足」を感じるために世間の評価、他社介入が慣習化されているのではないか。

皆が自然と行っているこの行為こそがビジネスなのである。

そもそもビジネスの意味は?

ビジネスとは、辞書を引くと「仕事。実務。事業。商業上の取引。」とある。

イコールお金という印象を持つかもしれないが、たびたび「お金を含まない利益」という意味でも使われることがある。私がアートと密接に関係すると提言したのはこの意のビジネスである。つまり何かしらの見返りや評価、意見、などのリアクションを求める行動の先にアートが待っているのだと考える。

歴代のアーティストで考えてみる

ゴッホやゴーギャン

ゴッホやゴーギャンは画家としての評価を受けたのは死後である。死後、作者の経歴や思想、画法が再評価され、オークションにかけられたことで、全世界へ”アート”として認知されたのである。結果として偉大なアーティストと呼ばれているが生きているうちにビジネスは成功しなかった事例である。

生前のゴッホと、あなたは今同じ境遇なのです。

ピカソやバンクシー

逆に健在で成功したと言える今話題のアーティスト”バンクシー”はどうだろうか。

<バンクシーはビジネスマン?>

社会風刺をテーマにした作品の多くは、街の壁や公共の場に描かれた。そしてこれが世界へ認知されることこそがバンクシーアートの価値なのだ。誰にも知られず、ひっそりとスケッチブックに風刺画を描いたとして、誰がバンクシーを知り得るのか。誰が週刊誌に描き、ネットで話題にし、オークションを開くのか。

「理解される作品」であるかは重要ではない。とにかく認知されるかどうかがアート

それはどんなに幸運でもゴッホにしかなりえない。

ピカソもまた生前から利益を追求した画家として有名です。


まとめ

実はいつの時代もアートで成り上がるためには、他者を巻き込み、世間から評価を受ける行動が必須なのである。ネットやSNSが普及し、誰でも簡単に世界の人へ発信できるこの時代。多くの評価を勝ち取るのは至難の業と言えるが、アーティストがアーティストでいるために、作品の仕上げ作業としてビジネスというエッセンスを加えることが重要なのだ。

異論は認める。





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